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パンパンパンプキンの日記

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劇場版「遊戯王 THE DARKSIDE OF DIMENSIONS」感想

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(劇場にいらっしゃったブルーアイズ・ホワイトドラゴン(以下、社長の嫁))

劇場版「遊☆戯☆王 THE DARKSIDE OF DIMENSIONS」観てきました!!!

ひとまず2回観てきて、「こういうことなのかなぁ」というのが出てきたので、現時点の感想・考察です。ああもう最高だゼーー!!!旅立つ前にもっかい観たい。

壮大にネタバレしますので、内容は続きを読むから。

www.yugioh20th.com

海馬瀬人の示す世界平和への道


劇場版『遊☆戯☆王 THE DARK SIDE OF DIMENSIONS』予告編

今回の劇場版は一言で言ってしまえば、世界の管理者交代の物語です。そして今回の主人公は武藤遊戯(以下、AIBO)ではなく、海馬瀬人(以下、社長)です。

まず前提として、遊☆戯☆王の物語は、海馬コーポレーション(以下、KC)の管理する童実野町を世界として語られます。ここはKCの代表取締役である社長が、人々の生活を持ち物一つにしても全て管理下におく(童実野町の市民になるにはデュエル・ディスクの登録が必須)、いわば独裁国家のようなものです。このことを踏まえて見ると、世界観がわかりやすいかもしれません。

dic.nicovideo.jp

ここで社長は若年ながら大会社KCを経営しつつ、世界平和への取り組みを行ってきました。それが、DMのカードゲームであり、デュエル・ディスクであり、バーチャル・シュミレーション・システムです。
今回冒頭から、社長は新型デュエル・ディスクの開発をほぼ完了させ、発表の機会を急いでいました。新型デュエル・ディスクでのデュエルは、人々の大脳と世界をリンクさせ、デュエルでは物理的なカードを必要としません。バーチャル・シュミレーション・システムは、操縦不能に陥った飛行機が社長の嫁に撃墜されるようなバーチャル体験をたとえ目の前であっても現実のように感じられるほどの完成度。

バーチャルだけど、現実と遜色ない世界を実現しました。

新型デュエル・ディスクの発表会を兼ねたデュエル大会で、社長は以下のように演説します。

「諸君らの敵は何だ?家族か?国か?宗教か?
…人間はずっと争ってきた。そんな醜い闘いは終わりだ。
この新型デュエル・ディスクでもって今後は闘うがいい。
諸君ら自身のカードでな!」

(うろ覚え要約)

これが、社長の世界平和への道標です。
世界中で人々は常に争っています。争いの規模に大小はあるけれど、争いが完全に止むことはありません。社長は恐らく、「闘い」を人間から無くすことはできないという認識があるのでしょう。ただ、闘いから生まれる暴力など悪しき行為を看過するわけにはいかない。ならば、どうすれば、それらを除くことができるのでしょうか。
そこで社長が提案したのが、「ゲーム」でした。「ゲーム」で闘いへの欲望を発散しようという提案です。流石に、ゲームで世界中の困難な問題を全て解消しようというのはファンタジーすぎて無理があると私も思いましたが、それだけ「ゲームの力」を社長は信じているんですね。その思想は実に素晴らしいなぁと思います。KC経営や新型デュエル・ディスクの開発など、社長は確かな実績をつくっていますから、少なくとも大変特殊な環境ではありますが童実野町では全くありえない話ではないのでしょう。

デュエリストとは闘う者。人間一人一人がデュエリストであることが、社長の目指した世界。

そして、ここでは普段大会社をバリバリ経営している社長の中の、ゲーム大好きな瀬人少年を見せつけられました…。ほんと可愛らしすぎますよ、社長最高!!

プラナ達の目指す世界平和への道

対して、 今回の悪役(といっていいものか)ディーヴァ達プラナの目指す世界平和には、AIBO達の生きる現世界のことは含まれていません。プラナ達は現世界に失望し、「高次の世界」へ旅立つことを目指しています。高次の世界は、皆が共通認識で繋がる言わば理想の世界。共通認識が全ての世界なので、恐らく個人認識が不要になり、恐れも苦しみも争いもない世界なのだと思います。人類補完計画

高次の世界にはプラナ達選ばれし者のみが存在でき、そうでない者が次元の狭間(現世界と高次の世界の間?)に迷い込むと他人に認識されず存在を確立できなくなってしまいます。

作品上でのプラナの存在意義

高次の世界へ旅立つ条件は、7つの千年アイテムを納め、アテムの魂を冥界へ還すこと。それらの条件はアテムとAIBOの最後の闘いを経て整い、彼らはいつでも現世界を捨て、高次の世界に旅立てる状態ですが、彼らのリーダーであるディーヴァ(次元を操るアイテムをシャーディー・シン(以下、シャーディー)から受け取った者)が、やり残したことがあると旅立ちを保留にしています。その理由は、彼らの命の恩人であるシャーディーを殺害した者、獏良了への復讐心でした。
プラナの一人マニがディーヴァに言います「復讐など止せ。シン様(シャーディーの意)の教えを忘れたのか」それに対してディーヴァは「シン様の教えを忘れたことなどない。これは復讐ではない。ただ、この世界から悪しき者を排除しなければならないのだ」ディーヴァはその言葉の通り、自分に酷い事をしようとしてきた不良少年たちや社長、城之内克也(以下、城之内くん)を「次元の狭間」へ迷い込ませて殺害することに躊躇しません。これは、長い間蓄積させてきた復讐心を圧倒的な力でもって八つ当たり・発散しているにすぎません。
高次の世界は「恐れ(個人に囚われ執着する心)」をもつ者には行くことが出来ません。ディーヴァのこれらの行為は「恐れ」に囚われた故以外の何物でもないですが、ディーヴァは「悪しき者を排除する正義の行い」と決めつけて自己正当化しています。プラナ達との共通認識から外れた行為を独り行うディーヴァは、この時既に高次の世界へ行く資格を失くしていたのかもしれません。
ディーヴァのこの愚かな行動を止めさせようとディーヴァの妹セラは、兄に何やら囁きかけたり、兄が社長から奪った千年パズルの欠片をAIBOに託すなど裏で動きますが、正直もうちょっと出来ることあったやろと思ってしまいます…。「わかって、兄さん」と願うのはいいのですが、もっとハッキリ「間違っている」と言ってやることは出来なかったのか?はい、出来なかったのだと思います。
プラナ達は、喧嘩の仕方(闘うこと)を知らないのです。彼らプラナは争いもとい喧嘩もしたことがないと過去回想であります。彼らは遊戯王の物語の中で唯一、決闘者ではない存在なのです。

ここでシャーディーの目指した「高次の世界」とはどのようなものだったのか、想像してみます。闘うことは避け得ないと悟った社長に対して、シャーディーは闘いが一切ない世界を目指しました。個人の識別なく共通認識のみが存在する高次の世界では、個人個人の争い(闘い)など存在しません。そんな世界はAIBOや社長の存在する童実野町では実現し得ません。なので、より高みの次元の世界と呼ぶのでしょう。

決闘者に対し非決闘者であるということが、その作品上でのプラナの存在意義なのです。

(という事からも、ディーヴァはデュエルを行いますし、本質的にはプラナではなくなっているのだと思います。プラナの資格があると言われたAIBOデュエリストですからプラナではありません。
では、プラナの能力であろうディーヴァの次元を操る力が何故残ったままかというと、恐らくこれはシャーディーから授かった能力であり、シャーディー厭世の今それを取り上げる者もいないので、失くしていないのではないでしょうか)

海馬瀬人の望み

社長のアテムへの執着は相当なものです。新型デュエル・ディスクの開発テストでアテムを再現したり(姿の再現、デュエルはもちろん、口癖まで)、アテム再臨のためにエジプトで封印された千年アイテムを再発掘し、千年パズルのピースを見つけたと思ったら宇宙へ持って行って最新技術にて6時間で組み立てたり。そして恒例のデュエル大会主催。今回社長は裏でも表でも、アテムとのデュエルを求めて奮闘します。何故、社長はここまでアテムを追い求めるのでしょうか。

「あの時、奴(アテム)に印籠を渡すのは俺だったはず…」(完全に意訳)と社長は悔しげにこぼします。アテムは社長との決着をつけぬまま、冥界へ還っていきました。
社長は人間には「闘い」が必要だと前述した通り考えています。「闘い」には、ライバルが必要です。社長が認めたライバルは、AIBOではなく、あくまでアテムなのです。これは劇中でも、AIBOのことを「器の遊戯」と呼ぶところからも明白です。

「遊戯…貴様との闘いは、心が騒ぐ…」

「高ぶる…高ぶるぞ。遊戯、貴様とのデュエルはいつもそうだった。知略と精神を張り巡らせた、ギリギリの闘い。それが、常にこの俺の限界を引き出してきた。貴様の存在が、俺の全身からアドレナリンをかきだし、この体の中の、血液を沸騰させる!だが同じ道に二人の覇者はいらぬ。貴様だけは…俺が!この手で!倒す!!」

「立ち上がれ!遊戯!貴様はここで終わるデュエリストではない!!貴様は、俺が認めた誇り高きデュエリスト。俺の前で、無様な敗北を喫するなど、断じて許さん!貴様にも見えるはずだ。見果てぬ先まで続く俺達のロード。貴様はここで立ち止まるのか。行く手に神が立ちふさがるなら、神をなぎ倒してゆけ!!」

(以上、TVアニメ版から耳コピ

TV放送版のこれらの台詞にあるように、社長を闘わせるのは今も昔もアテムしかいなかったのです。社長は自らも闘い生きていく為に、アテムの存在を欲していたのでした。

 

ここで、今回の劇場版でアテムの魂の存在を匂わせた箇所をまとめてみます。

 ①社長×ディーバのデュエル
  遺跡に残る神の痕跡を示し、社長を助ける。
 ②城之内くん@次元の狭間
  次元の狭間で消えそうになる城之内くんを、AIBO達の元へ導き、
  城之内くんの存在の再認識を促した。

 ③デュエル大会にて
  最後の闘いの際、再降臨して千年リングに乗っ取られたディーヴァを撃破。

 

考えつくアテム再臨への手立ては、封印された千年パズルを再びAIBOの手で組み直すことのみ。それで本当にアテムが蘇るかどうかの確信もないままの状態からの、①でアテムの気配を感じられた時の喜び、そして、デュエル大会でAIBOからアテムの魂がパズルから失われたと告白された時のショックは想像に難くありません(あの社長の目がめっちゃウルウルしてましたし)
しかし、社長は何があってもひたすらアテムの魂の存在を信じ続けました(アテムの魂の存在を社長が感じ取れたのは①だけだったのにも関わらず)
終盤デュエル終了後、AIBOは「海馬くん、ボクはもう諦めていたのに、君はずっとアテムの存在を信じ続けていたんだね。ありがとう」と社長に声をかけます。それに対し社長は、「遊戯、貴様も誇り高きデュエリストだった」とAIBOを認める発言。AIBOは見事アテムを喚び出し世界を守りましたし、社長とのデュエルでは実質勝利(ディーヴァの乱入でLPが0になる前にシステムダウンしてしまった)していましたから。

この瞬間、社長はこの世界の管理後任者の確認と、この世界からの引退を決意したのです。これがこの劇場版を、世界の管理者交代の物語だとする所以です。
KC社長として世界の管理者であった社長が、一人の人間として闘い生きていくことを求める姿は、涙無くしては見れませんでした。

社長引退の後、KCそして童実野町の平和はAIBOとモクバが守っていくのだと思います。今回の劇場版からモクバは髪を整えてスーツを着込み、KC経営の実務指揮を段々と担うようになっていたようですし、「アテムの魂の再臨を諦めていた」と言うAIBOも、アテムとの邂逅の際恐らく、「これからはAIBOが世界を守るんだ。任せたぞ」「君のようには急にはできないけれど、やってみるよ」というような会話を交わしていたのではないでしょうか(完 全 妄 想)

まさに、

アテム・社長「ターン・エンドだ!!」

AIBO・モクバ「ボク(俺)のターン!!!!」

プラナ達の最後

アテムの再臨により、高次の世界へ旅立つ力を失ったプラナ達は国に帰り、それぞれの生活を再開します。ディーヴァとセラは手を繋ぎ、去っていきます。これまで闘うことを知らなかった彼らには、おそらく様々な困難が待ち受けていることでしょう。しかし、目の前で誇り高きデュエリスト達の闘いを間近で見た彼らはきっと、それらに打ち勝っていくのだと思います。人間は、闘いの中で生きていく者なのですから。

 

以上 

www.yugioh20th.com

 

(私の遊戯王に関しての知識はDMのみ、また原作・アニメシリーズすべてを網羅しているとは到底言えません。)
ご意見ありましたらいただけると嬉しいです!ありがとうございました。
遊戯王最高!!!!!!!!!!